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青草町88番地通信

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青草町88番地通信
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金沢の近江町市場の近江町いちば館1階でで果物屋やってます…
新装開店した店のほうも、チョッと落ち着いてきたので、折々のフルーツのことなどをボチボチ書いていきます。
ちなみに左の写真は、店に飾ってあるステンドグラスですが、今から約100年前のヨーロッパの邸宅で実際に使われていたものです…
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恒々草 -ガマの油売り-

2017/05/15 23:19
多分、小学生の頃のこと
母が、「きゃ、御坊さん来っさけお茶菓子買うて来てくれんか?いつものがでいいし、あんたも欲しいがあったら買うて来てもいいぞ。」ちゅうもんで、いそいそと自転車に乗って横安江町の別院の手前にあった「何じゃら万」たら言う店へ向かう…
当時住んでいた西堀川から横安江町へは、巴町を通って行くのが一番手っ取り早い。
その頃の横安江町と言えば、アーケード完備の北陸随一の商店街!たっだにんぎゃかしかったげんぞ。

饅頭屋の前まで行くと、別院の山門前に人だかりが出来とる。
何しとらんやろ?とそばまで行って覗いてみると、着物に襷掛けをして袴を履いて頭には鉢巻を巻いた色黒のガンコそうなオッサンがガマの油を売り始めるとこやった。
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”さぁ、さぁ、寄ってらっしゃい、見てらっしゃい!”から始まって、筑波の山奥の前足の指が4本、後ろ足の指が6本の四六のガマをガラスの部屋に閉じ込めたら、己の醜さに脂汗を流して、その汗を集めて煮詰めてどうたらこうたらのあのガマの油売りの口上。
その四六のガマは、鞄の横の箱の中に入っとるらしいけど、中はなかなか見せてくれん…w

その口上の後に、脇差しのような刀を取り出し、半紙を切って見せて、それをおもむろに左の腕へあてがう(汗)
その左の腕には、数本の赤いミミズ腫れのような跡が見える。
(このオッサン、身体張っとれんなぁ…)と子供心に思ったりしていると、刀をあてた腕から血が滲み始めた!
さっと血を拭ってから、ガマの油を塗って30秒ほどサラシで押さえてから、傷跡を見ると、血がきれいに止まっている(*_*)
今考えると、山門の左脇には交番所があったのに、「おい!銃刀法違反で逮捕する!」とは言われなんだし、あの脇差しは、真剣じゃなくてパフォーマンス用の仕込み刀やったかもしれん…w

次は、ガマの油でホクロも取れるというパフォーマンス。
観客の中のホクロの有る女性を指名して、ガマの油を塗り込んでサラシで押さえて、数分待つとホクロがサラシの方にくっついて、顔から取れている!
しかし、これも今冷静に考えると、観客の中に桜を仕込んどいた可能性が高そうや。多分、ホクロも付けボクロのようなもんかもしれん…w

一連のパフォーマンスの後、おもむろに脇にあったカバンを開けて、
今で言うところのTVショッピングよろしく、瓶色の小さな缶に入ったガマの油をかざしながら、
「本来なら、一缶3,000円のところ、今日ここにいらっしゃる方に限り、一缶1,500円!二缶なら2,000円でお分けします!さぁ、買った、買った〜!」と始めだした。
周りで見ていたオッサンやら、オバサンが
「一缶頂戴!」、「わっしゃ、二缶や!」と言いながら、ガマの油売りの周りを取り囲み始める。
(こんな高いもん、買う人もおれんなぁ…)と感心しながら、いつまでもこんなもん見とらんと饅頭買うて帰らんなんと、饅頭屋へと向かった。
これもまた、今にして思えば、何人かは桜やわ、きっとw

饅頭屋のショーケースを覗くと、あんまり饅頭が残っていない^^;
取り敢えず、おはぎときなこ餅と黒胡麻をまぶした餡子餅(これがこの店で一番評判やったと思う)を2個ずつ買って、御坊さんが来る前に帰らんなん!と急ぎ自転車を走らせた。


数日して学校で、鼻の横のホクロがチャームポイントだったS林さんのホクロが無くなっていることに気付く。
「おい、S林、お前ホクロどうしたん?」
「お母さんと一緒に病院行って取ってもらってん…。」
「ふぅ〜ん…、でもあったほうが可愛かったんにw」
「まぁ、まぁ、その内慣れるわいねw」
そんな会話を交わしながらも、私は内心では
(こいつ、きっとこの前の別院の前のガマの油売りのガマの油でホクロ取ってんわ!)と思っていたが、彼女は附属中学へ進学したので、真相は闇の中や…w
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チョッと落ち着いてきたようやし、あの会社での話でも…^^;

2016/06/12 06:33
1980年4月1日三菱自動車販売鞄社。
何でこの会社を選んだかは、話が長くなるので今回は割愛。

グループ内では自販と呼ばれていた会社で、一応三菱グループの末席に加えて頂いてた。
国内販売のディストリビューター的機能を持つ商事会社で、輸出に関しては自工が商事と組んでやっていたので、早い話が国内のディーラーの元締めみたいな会社。トヨタ自販の三菱版ってとこか…^^;
’84に自工に吸収合併されたんで、今は、三菱自動車工業ということやねw

入社式に続き、約1周間のオリエンテーション…
オリエンテーションの時には、目標は国内販売100万台、日産を抜いてシェア2位を…なんて聞かされたけど、
今は日産頼みw

OJTでは、自販社員たるもの自動車に関してのあらゆる知識と販売の現場を知らねばならない!という訳で、
ディーラーの新人セールスマンと一緒に川崎の研修所で合宿したり、
トラック・バスの工場の見学や部用品会社の訪問…
川崎のバスの組立工場で、北鉄バスが組み立てられているのを見た時は、チョッと嬉しくなった(^^♪
エンジン専門の京都製作所(京製)へも行った。

で、岡崎の教育センター(通称:岡教 自動車整備士の学校に併設された、整備士の教育施設)にて、自動車の構造や整備に関する知識、エンジンやブレーキの分解組み立てなどのカリキュラムをこなさなくてはならない。
毎朝、ラジを体操の前に「三菱グループの歌」
この手と この手を 結び合わせて
明るく 楽しく 心ゆたかに
みんなの暮らしを 夢をそだてる
あなたの三菱 世界の三菱

が流れてきて、ついつい口ずさんでしまう。
簡単なBARもあって、通常グループ内の施設で出されるウイスキーは、当時はキリン・シーグラムの「ロバート・ブラウン」と言う事になっていたが(BEERは当然KIRIN)、各地のディーラー等から整備士の方々が研修に来るためか、ここでは何故か「サントリーオールド」も置いてあった。缶詰状態で、外出も出来ないので、毎晩同期の呑兵衛数人で呑んだくれていた ^^;

OJTのメインイベントは、名古屋港近くの大江製作所(現在は、重工の工場へと戻されているはず…)の組立ラインでの研修。
何の因果か、最も体力を使いそうな、フロントシートの組み付けの部所に回される(-_-;)
で、一番多くラインを流れていたのが、北米輸出用のΛ(Dodge Challenger・Primus Sapporo)で、このフロントシートがデカイもんでとにかく重い!
たまにΣバンが流れてくるとホッとしたもんだ。
緊張と疲労にまみれて初日の午前中の作業終了。
兎にも角にも昼飯と、社員食堂へ向かう。ごった返す中で、A、B定食が目に入ったので取り敢えずAで…
疲労と脱水症気味なのか、思うように喉を通らない(それ程旨くないというのもあったが…)。
驚くことに、ご飯は麦飯!これは全く受け付けず…(-_-;)
とうとう、おかずも含めて半分ほど残す羽目に。
それ以来、組立ラインでの実習中の昼食は、毎日冷麦を食べていた。
宿舎の社員寮の夕食も、ご飯は麦飯だったが…
たまに友人と帰り道に、焼き鳥屋で一杯引っ掛けて帰る事も。その焼き鳥が、至高の食事に思えたりもした w
工場の人達は、
「また今年も、自販のお坊ちゃん達がおいでたよ」と、冷ややかに見ていたそうであるが…

さて、そうこうしてるうちにOJTも終了し、いよいよ研修の本番ともいうべき自販東京営業所(砧公園の向かいにあった直営の販売拠点)でのセールスマン研修。
ディーラーの本店機能を学ぶために、敢えて鬼と恐れられていたU所長が鎮座まします上用賀の営業所を希望する。拠点は他にも、田町の本社ショールームと、杉並のカープラザ、丸子橋のクリーンカーセンターもあったのだよ。

そろそろ本題に入らないと…^^;
営業所での様々なエピソードは別の機会に譲るとして、当時は47万円の初代「アルト」旋風の真っ只中。
三菱には「ミニカアミ55」があったけど、商談は苦戦の連続。
寮で同室だったNは、廉価版のミニカアミ55を購入して、通勤やセールスの足として使っていた。
大学時代に自動車部だった彼曰く
「こいつ、ボディは軽いし、FRだからダートで振り回すと、スゲ〜面白いぜ!」
たまに、通勤時に助手席に乗せてもらうことがあったが、第3京浜や東名の港北インターへの渋滞回避の抜け道の未舗装路へ入った途端、彼の顔はラリードライバーのそれに豹変した!
当時は、寮があった横浜線の中山や、田園都市線の青葉台周辺の丘陵地は、宅地開発が盛んに行われ始めていて、それに合わせて道路の方も整備されつつあったが、完成前の宅地造成地周りの道路はまだまだ未舗装のままの状態のものも多かった。
カウンターを当ててのドリフトなどは、いつものことで、シートベルトを締めて足を踏ん張り、アシストグリップを握りしめていなければ乗っていられないような状態だった…
そういう好き者には面白い車だったかもしれないが、軽のボンネットバンのターゲットは子持ちの主婦層からオバちゃん。FRなんで、ダートで思いっ切り振り回すと面白いですよ等と言って勧めるわけにもいかずw
まぁ、乗用車仕様しか無かったんで、内装や装備が豪華ですよとか、サイレントシャフト(当時の三菱の看板アイテム)付きのエンジンなんで静かですよと、言ったところで、所詮はスーパーなんかへの買い物グルマ、ちょい乗りグルマなんで、安いに越したことはない。で、アルト47万円!

軽四版のミラージュみたいの作りゃいいのに…などと愚痴っていたある日
あのNが、
「今日、用事があって田町の本社行った時に、自工のやつから聞いたんだけど、うちも新型の軽が出るらしいぞ!」
「おぅ!で、それってFF?」
「いや、FRのままらしい…(-_-;)
一応、規格いっぱいのボディで、今のガラスハッチからボンネットバンと共用のテールゲートタイプのハッチになる。」
「でも、FRか…」
「自工のやつらに言わせると、ミニカのエンジンって2気筒だし、縦においても横においてもスペース的にはあんまり変わらないんだとさ。」
「そうかも知れんけど、でも、ミッションケースの出っ張りや、フロアトンネルは邪魔やろ…?」
「やつら曰く、元々軽って4人乗りじゃん、乗ってしまえばフロアトンネルは気にならないし、それにフル乗車することもあんまり無いから、FRでもスペース的には問題は無いんだとさw それよりもFRの運転のしやすさを強調するんだと…」
「なるほどね、っておもわず納得するけど、技術屋の詭弁のような気もするなぁ…w」
「FFも開発中らしいけど、今回は間に合わないらしい。」
「その自工の理屈って、ディーラー向けのセールスマニュアルにも載るわけ…?」
「まぁ、そう言うことらしいね^^;」

ミニカがFFとなるのは3年後の1984年のことである。

かつて、ホンダの乗用車が空冷エンジンを積んでいた頃、
「水冷エンジンも、ラジエターは空気で冷やすのだから、結局は空冷である」と、本田さんが言ったとか…w
そんな逸話もあるくらいなんで、技術屋さんの言い訳はどこも似たようなもんかも。

ところで、こんな本が出版された時期もありました…^^;
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これも詐称…? ^^;

2016/03/30 16:05
これは、「近江町いちば館」とともにリニューアルした時に揚げたうちの店の看板。
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創業年を示す意味で、「SINCE 1907」ということにしてあります。
曾祖父さんはもとより、祖父さんも他界してしまっていたので、詳細については今ひとつはっきりしなかったので、曾祖父さんの生年月日から類推して1907年としたわけです。

ところが、昨日、ふとしたことから間違いが判明…^^;

Facebook友達のネタ絡みでネットを探っているうちに、金沢商工人名録(昭和3年)に行き当たり、
その中に曾祖父さんの名前を発見!
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それによれば、創業は明治35年(1902年)
屋号は「ヤマヤ」(あんまり捻りがないし、やっぱり市安の方がいいわw)

ということで、正確にはSINCE 1902 でございます m(_ _)m

まぁ、5年古かったわけで、
5年新しかったわけでもないんで、情状酌量の余地ありかね…
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軋轢…

2015/10/12 19:08
書こうと思いつつ、思い留まってみたり、身体がウンと言わなかったりで棚上げしていた事についてチョッと書こうと思う。
個人的な思いも多分に入っているので、これが近江町市場のスタンスだと誤解しないようにお願いしたい。

3月14日の北陸新幹線開業前から、各種マスコミの煽りや、新幹線前にと言う旅行会社の売り込みやらでごった返し始めた近江町市場。
このまま、新幹線が開業したらどうなることやら…と、期待と不安の入り混じった面持ちでいたが、最初のうちは「新幹線効果ってこんなもん? プレ新幹線の時の方が忙しかったし…」などと思ったりもしたのだが、皆さんもご承知のようにG.W.辺りからとんでもない状況に陥ってしまった…(-_-;)
夏休み、シルバーウィーク、国慶節の連休もそろそろ終了で、少しは落ち着きを取り戻しつつあるかにも見えるが、この日にしても、お昼前後の時間帯は、中央卸売市場の休市日の水曜にもかかわらずこの有様…
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その煽りを受けて、混雑を嫌って地元客の足が遠のいているのでは…とも言われたりもしている。
確かに、冷静に観察してみるとその傾向は否めないかもしれない。
これは、観光客とはあまり関係ない業種の店にとっては大問題である。

さて、この近江町市場、オフィシャルとしては約290年の歴史と言う事になっているが、それよりも古い魚問屋さんも市場の中にあるのだから、成り立ちはそれよりも古いのかもしれない。
何れにせよ、魚や野菜を中心とした食材の集散地、まさに「市」として綿々と続いてきたわけで、中央卸売市場開設以降は卸中心の市場から、小売中心の市場へと業態を上手く転換できた市場なわけで、観光スポットとして意図的に作られたものでは無いことは理解して頂きたい。
それが観光スポットとして意識されだしたのが、バブル期の雪印の「市場へ行こう!」のCMが流れ始めた辺りかもしれない。その頃は、今と違って、買い物が主たる目的で、魚介類を入れた発泡スチロールの容器をぶら下げた姿が観光客の定番スタイルだったりもした。

「いちば館」を含め、近江町市場の再整備に関わってきた関係もあって、県や市などの行政の担当者の方々ともよくお話させていただいたが、彼らが口にするのは「近江町市場は、あくまでも市民の台所であり続けてほしい」と言うもの。
しかし、その言葉の裏には「観光スポット」としての近江町市場と言う認識が見え隠れしていた。果たして、彼らの思惑通りのなったのだが…、今度は、もっと市民の方を向け!(でも、観光客も大事にしろ!やろ…)

そろそろ本題かな…
近江町市場に買い物に来てくださる地元民にとっては、「近江町市場」は普段の生活の場、つまり「日常」の空間である。
では、観光客にとってはどうなのか?
旅に出ること=非日常を求めること、つまり彼らにとっての「近江町市場」とは、「非日常」の空間なのである。
「ひがし」などは、日中のポジションは観光地であると開き直ってるから、それはそれでいいんだろうが、近江町市場の基本スタンスはあくまでも市民のための市場である。
観光客目当ての店もいっぱいあるんじゃ?と言う向きもおでるかもしれなが、それは一部の店であって、大部分の店は、地元の馴染みのお客さんを大事にしたい、お客さんと色んな会話をしながら商売したいと思ってるデある。
いつの間にか近江町市場は、日常と非日常がせめぎ合う空間と化してしまったのである。
一つの場所に、全く正反対の要素を求める集団が入り交じるわけであるから当然軋轢も生じようというものだ…
まして、最近は「非日常」の集団の数が多いのだから、「日常」の集団は次第に追いやられる有様 (-_-;)
それに追い打ちをかけるようにメディアが自分達の思い描く「観光客の喜びそうな」近江町市場のステレオタイプの情報を垂れ流すし…

私もよく各地の市場なるものへ視察に出掛けたけど、店の人間から見たら単なる観光客がどんな風に見えるかを分かっているから、なるべく邪魔にならないようにと一応は気を使って見せて頂いているつもりである。
最近、地元の人に申し訳ないなぁ…と思うのが、別に買物をするわけでもない一団が店の前を塞いで、ああでもないこうでもないと話してる後ろの方で、地元のお客さんが買いたい物があるのになかなか手に取れない場面がよくあること。
そんな時は、なるべくそのお客さんの顔を見ながら、欲しそうなものを「リンゴですか?」などと声を掛けるようにしているのだが、C国語を話すような集団が前を塞いでることも多いので、一筋縄ではいかない場合も多かったりして…

2〜3人で旅されてるような方々とは、色んなことを話しながらお相手させて頂いたり、地元の人も会話に混じったりとなかなか楽しい場面もあるのだが、大人数になればなるほど人は横柄になってくるもので、団体客はえてして質が悪い事が多い…

郷に入りては郷に従えではないが、その地の生活の一部に自分達も少しだけ混ぜて欲しいの気持ちになってくれないもんかなぁ…と思う今日此頃。
観光客をターゲットとしてるところなら「あんたが一番!」でいいんだろうけど、市民の生活の場に足を踏み入れる時は、もう少し遠慮があって然るべきやろとも思う。
変な意味での旅の恥はかき捨ては御免被りたいものだ。

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それと、最後にもう一つ…
最近、ある友人が「近江町も下品な街になってしもた…」と嘆いていた。
確かに、そう言われても仕方無い。
金沢人が良しとしないような行動が平然とまかり通るような街に成り下がった様に見えるのかもしれない。
これもメディアとそれに乗っかる観光客、またまたそれに乗っかる店のせいか…
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金沢城リレーマラソン参戦記(^^)v その2

2015/05/17 15:39
先日の金沢城リレーマラソンの様子を動画にしました(^^♪

宜しければ御覧下さいm(_ _)m


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金沢城リレーマラソン参戦記(^^)v

2015/05/13 08:18
去年の秋のこと
「やっさん、来年のリレーマラソン出れんろ?」
「おん、来年な出るわいね!」
と、思わず口走ってしまう…^^;
みんなの頑張りを見ながら、ちっとも練習すらしない言わば近江町陸上部の幽霊部員のくせして。

まぁ、1周(約1.9km)ぐらい何とかなるやろ…。
ちなみに、高校時代は、毎日、学校から野田山の忠霊塔まで2年間走り続けとったし、
体育の時間の長距離走は常にトップやった(^^)v
短距離の方も早かった。
と言っても、それって、もう40年近く前やし…(-_-;)

一応、スポーツは何やかやで続けとったけど、
「近江町いちば館」がオープンして、日曜も営業するようになってからは、
なぁ〜んもやっとらんがと一緒。
年に数回の公民館のスポーツ行事に出るくらいになってしもとった。
ましてや、ランニングなどとは無縁…

「やっさん、練習しとらん?」
「なぁ〜ん、ちょっこ温なってから…」
と、言葉を濁す日々
だいたい、寒いが嫌いやし、仕事終わってから走りたないぞいね。
はよ帰って、酒飲みたいわ。

で、何やかやで、桜も散り、G.W.の喧騒も終わり…
気が付くと、もう来週やがいや! ガァ〜ン(T_T)
あっりゃ〜、シューズも買うとらんし。

運命の日が近づくにつれ、募るは不安ばかり。
ほんとに走れらんかいや?
左の股関節痛もまだ十分でないし
とちゅうで、心肺停止んならんねぇけ…。

前日、開き直ることに決定!
一応、日に1万歩、昇り降りは極力階段を使うことだけは心掛けてきたし、
まぁ、10分程我慢すりゃ何とかなるやろ…
それ程根拠の無い自信が湧き上がる(笑)

妻には当日まで、伝えてないかった。
「まった、あんたの何の根拠もない変な自信かいね? ほんと、口ばっかねんし…」
と言われるのが関の山なんは分かっとっし。

いざ決戦の日、天気は最高のマラソン日和。
息子のランニングシューズを借りようかとも思ったが、履き慣れたナイキのテニスシューズをチョイス。
もち比べたら、これが一番軽かったし、慣れたが履くがに越したことはないもんね…(^^♪

さて、黒門から金沢城へ!
ここは、大学時代4年間通ったコース。
ほんでも、右手のこの坂こんなにきつかったけ…?
考えてみたら、坂上る時はバイクがほとんど、
それ以外は、生協の横から喫茶「ル・シャトー」に通じる階段を使っとてんた。

近江町陸上部が陣取るところへ到着。
数名は、体慣らしに走りに行ったようやけど、
最年長者は、体力温存のため、ストレッチのみに終始(笑)
いわゆる、ノー練のぶっつけ本番!

走順は7周目、当然走るがは1周だけ。
5周目の走者を見送り、いよいよリレーゾーンへと向かう。
意外と心境は平静、まぁ、伊達に年くっとらん。

いよいよ第6走者の姿が見えてくる。
「やっさん、頑張って下さい!」
と、襷と近江町市場ののぼり旗を受け取る。
その瞬間、アドレナリン全開!
スイッチが入って、予想以上のハイペース。
「あれ、もしかして、意外と俺って速いがんねぇけ…?」
などと思いつつも、近江町陸上部の陣地に旗を置き、上り坂へと向かう。
ここでも、数名を追い抜くも、坂の第2ステージ辺りで、ついにペースダウン…

かつての記憶を思い浮かべつつ、他のランナーの邪魔にならんように、
前を走る法被着た人に付いて行こうと言う事に…
折り返し地点を過ぎると給水ポイント。
慣れん事して、むせたら大変やし、敢えて給水はしない(笑)
別に、追い抜かんでもいいげんけどと思っても、
相手のペースが落ちて来るもんで、大それたこととは思いつつもまた数名を追い抜く…。
でも、後からまた抜き返された人もおるけど…^^;
でも、この辺りが一番きつかったかも…

下り坂、野田山ランの経験がここで蘇り、意外とスムーズ。
みんなの待つポイントを再び通過。
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この写真は、友人のN君が撮ってくれたもの。
こうやって見ると、だいぶヤバイし…^^;

残りは平坦路をリレーゾーンへと目指すだけ。
まっだ奥まで行かんなんがかいや…(-_-;)
ここまで来たら、あとは気力のみ!
無事、チームのエースに襷を繋ぐ(^^)v

チームの陣地へと戻り、ねぎらいの言葉を受けながら給水。
ビールを差し出されたが、スポーツドリンクの方が美味かった。
それでも、一息ついてから、ビールを飲み干す。
仕事もいいけど、たまには青空のもとで走るがもいいもんや!
精神的には、非常にリフレッシュ出来た。

タイムの方は、10分31秒
ノー練ぶっつけ本番の57才のオッサンの記録としてはまずまずと自己満足(^^♪

打ち上げの方は、非常に盛り上がって楽しかったけど、ここでは割愛。

翌日は、予定通りの筋肉痛。でも、仕事に支障が出る程でもなし。
翌々日には、ほぼ回復(^^)v
来年も、一応走る予定(今んとこ…)
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こんな時期やからこそ、「じわもん」について…

2015/02/25 20:09
3月14日の北陸新幹線開業に絡めて、様々なメディアで「金沢」や「近江町市場」が取り上げられています。
それはそれで、非常に有難い事なんですが…
天下の「週刊ポスト」が、困ったことをやってくれましたねぇ…(-_-;)
グラビアの■ 金沢を食い尽くす北陸路 という企画なんですが
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その中に「近江町市場には、こうした「じわもん」と呼ばれる地物の食材が一堂に集まる。」とあります。
地元の食材を「じわもん」と呼んでるのは、駅の向こう側の茶色いお役所の方か、某地元紙ぐらいです。
ネイティブな金沢人は、地元の食材は「地物」とか「地ぃのもん」と呼びます。
「じわもん」は、魚屋さんなどでは「余り物」や「売れ残り」を指す言葉で、お客さんに売るような物ではないので、「じわもん」として自分の家で食する物のことです。
近江町市場で使われるような場合は、「おつかいもん(ギフト)」や「ごっつぉ(御馳走)」に対しての対義語で、お客様のために用いる物ではなく、自分の家で普通に食べるものを指す言葉です。

新幹線でおいでた方が魚屋さんの店先で「じわもん有りますか?」等と尋ねたら、
「ダラん事言うとんなま!うっちゃ、キットキトな魚しか置いてないわい!」と言われかねません。
「あんちゃん、じわもんにすっさけ何か割安の魚居っけ?」と言ったのが、適切な使い方です。
書き出すと長くなるので、この辺にしときますが、興味のある方は拙Blogの
「おもてなしは「じわもん」じゃマズイやろ…」
「「地物」のから見た「じわもん」の考察」
「チョッと気になる「じわもん」の使われ方…」
をお読み頂けると幸いです。

言葉の意味は時とともに移ろうものですが、守っていかなければならない「金沢弁」もあるはずです。
私は、「じわもん」もその一つだ思っています。
十分な精査もせずに、全国版週刊誌が知ったかぶりして方言を扱うことは、方言に対するレイプに等しいと思います。
出来ることなら、次週号に謝罪文の一つも載せて欲しいくらいに腹立たしい気分です…。
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