紫蘭

ふと、庭の隅を見ると、今年も紫蘭が花をつけ始めていた…。
さして手入れをするわけでもなく、秋に葉の落ちた茎を切ってしまう程度で、あとはなすがままである。
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殊更驚くような事ではないのかもしれない。
しかしながら、毎年再生を繰り返す植物の生命力には、ちょっとした感動を覚えずにはいられない。

太古の昔より、数多の生物は、その植物の持つエネルギーによって支えられて来た。
食物連鎖の上位に居ようとも、植物の支え無くしては、彼らもまた命を維持することが出来ないのである。
だが、植物たちは、自ら動き回ることも出来ず、
また、何かを話すわけでもない。
ただ黙々と、種を保持しつつ生き続けるのである。

彼らが花をつけるのは、彼らにとっての発情期なのかもしれない。
人が、その花を愛でるために作り出したものは別として、
人に媚びを売るために咲き誇っているのではないことは確かである。
彼らは、あらゆる手段を駆使して、子孫繁栄を目指しているのである。

その健気な秘めたパワー故に、人は花に魅せられるのかもしれない。
とは言え、それは人が勝手に想いを巡らせているだけで、植物にとってはどうでもいい事なのかもしれないが。

さて、この写真。
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同じ時間に、同じ庭の紫蘭を撮り方を変えて撮ったものである。
このように、同じ花であっても、人の想いの有り様によって、違って見えてくるのである。
花に感情があるとしても、それを理解できない我々は、自分勝手に我が想いを感情移入しているに過ぎない。

あたかも、神の如く、彼らの支配者の如く、我が意のままに好き勝手に彼らを弄んでいるのである。
人間のみならず、この地球を黙って支えてくれているのが彼らであることなどに思い巡らせることもなく…。

歳をとってくると、妙に花や草木が愛おしくなってくるのは、
少しは、彼らの想いを感じることが出来るようになって来たせいなのであろうか…。
いや、これも思い上がりかもしれない。
いずれにせよ、少しは謙虚な気持ちで、彼らとともに生きていくことが出来るある意味での妥協点を見つけることにしようと思う今日此頃である。

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