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みんなの「軽自動車」ブログ


チョッと落ち着いてきたようやし、あの会社での話でも…^^;

2016/06/12 06:33
1980年4月1日三菱自動車販売鞄社。
何でこの会社を選んだかは、話が長くなるので今回は割愛。

グループ内では自販と呼ばれていた会社で、一応三菱グループの末席に加えて頂いてた。
国内販売のディストリビューター的機能を持つ商事会社で、輸出に関しては自工が商事と組んでやっていたので、早い話が国内のディーラーの元締めみたいな会社。トヨタ自販の三菱版ってとこか…^^;
’84に自工に吸収合併されたんで、今は、三菱自動車工業ということやねw

入社式に続き、約1周間のオリエンテーション…
オリエンテーションの時には、目標は国内販売100万台、日産を抜いてシェア2位を…なんて聞かされたけど、
今は日産頼みw

OJTでは、自販社員たるもの自動車に関してのあらゆる知識と販売の現場を知らねばならない!という訳で、
ディーラーの新人セールスマンと一緒に川崎の研修所で合宿したり、
トラック・バスの工場の見学や部用品会社の訪問…
川崎のバスの組立工場で、北鉄バスが組み立てられているのを見た時は、チョッと嬉しくなった(^^♪
エンジン専門の京都製作所(京製)へも行った。

で、岡崎の教育センター(通称:岡教 自動車整備士の学校に併設された、整備士の教育施設)にて、自動車の構造や整備に関する知識、エンジンやブレーキの分解組み立てなどのカリキュラムをこなさなくてはならない。
毎朝、ラジを体操の前に「三菱グループの歌」
この手と この手を 結び合わせて
明るく 楽しく 心ゆたかに
みんなの暮らしを 夢をそだてる
あなたの三菱 世界の三菱

が流れてきて、ついつい口ずさんでしまう。
簡単なBARもあって、通常グループ内の施設で出されるウイスキーは、当時はキリン・シーグラムの「ロバート・ブラウン」と言う事になっていたが(BEERは当然KIRIN)、各地のディーラー等から整備士の方々が研修に来るためか、ここでは何故か「サントリーオールド」も置いてあった。缶詰状態で、外出も出来ないので、毎晩同期の呑兵衛数人で呑んだくれていた ^^;

OJTのメインイベントは、名古屋港近くの大江製作所(現在は、重工の工場へと戻されているはず…)の組立ラインでの研修。
何の因果か、最も体力を使いそうな、フロントシートの組み付けの部所に回される(-_-;)
で、一番多くラインを流れていたのが、北米輸出用のΛ(Dodge Challenger・Primus Sapporo)で、このフロントシートがデカイもんでとにかく重い!
たまにΣバンが流れてくるとホッとしたもんだ。
緊張と疲労にまみれて初日の午前中の作業終了。
兎にも角にも昼飯と、社員食堂へ向かう。ごった返す中で、A、B定食が目に入ったので取り敢えずAで…
疲労と脱水症気味なのか、思うように喉を通らない(それ程旨くないというのもあったが…)。
驚くことに、ご飯は麦飯!これは全く受け付けず…(-_-;)
とうとう、おかずも含めて半分ほど残す羽目に。
それ以来、組立ラインでの実習中の昼食は、毎日冷麦を食べていた。
宿舎の社員寮の夕食も、ご飯は麦飯だったが…
たまに友人と帰り道に、焼き鳥屋で一杯引っ掛けて帰る事も。その焼き鳥が、至高の食事に思えたりもした w
工場の人達は、
「また今年も、自販のお坊ちゃん達がおいでたよ」と、冷ややかに見ていたそうであるが…

さて、そうこうしてるうちにOJTも終了し、いよいよ研修の本番ともいうべき自販東京営業所(砧公園の向かいにあった直営の販売拠点)でのセールスマン研修。
ディーラーの本店機能を学ぶために、敢えて鬼と恐れられていたU所長が鎮座まします上用賀の営業所を希望する。拠点は他にも、田町の本社ショールームと、杉並のカープラザ、丸子橋のクリーンカーセンターもあったのだよ。

そろそろ本題に入らないと…^^;
営業所での様々なエピソードは別の機会に譲るとして、当時は47万円の初代「アルト」旋風の真っ只中。
三菱には「ミニカアミ55」があったけど、商談は苦戦の連続。
寮で同室だったNは、廉価版のミニカアミ55を購入して、通勤やセールスの足として使っていた。
大学時代に自動車部だった彼曰く
「こいつ、ボディは軽いし、FRだからダートで振り回すと、スゲ〜面白いぜ!」
たまに、通勤時に助手席に乗せてもらうことがあったが、第3京浜や東名の港北インターへの渋滞回避の抜け道の未舗装路へ入った途端、彼の顔はラリードライバーのそれに豹変した!
当時は、寮があった横浜線の中山や、田園都市線の青葉台周辺の丘陵地は、宅地開発が盛んに行われ始めていて、それに合わせて道路の方も整備されつつあったが、完成前の宅地造成地周りの道路はまだまだ未舗装のままの状態のものも多かった。
カウンターを当ててのドリフトなどは、いつものことで、シートベルトを締めて足を踏ん張り、アシストグリップを握りしめていなければ乗っていられないような状態だった…
そういう好き者には面白い車だったかもしれないが、軽のボンネットバンのターゲットは子持ちの主婦層からオバちゃん。FRなんで、ダートで思いっ切り振り回すと面白いですよ等と言って勧めるわけにもいかずw
まぁ、乗用車仕様しか無かったんで、内装や装備が豪華ですよとか、サイレントシャフト(当時の三菱の看板アイテム)付きのエンジンなんで静かですよと、言ったところで、所詮はスーパーなんかへの買い物グルマ、ちょい乗りグルマなんで、安いに越したことはない。で、アルト47万円!

軽四版のミラージュみたいの作りゃいいのに…などと愚痴っていたある日
あのNが、
「今日、用事があって田町の本社行った時に、自工のやつから聞いたんだけど、うちも新型の軽が出るらしいぞ!」
「おぅ!で、それってFF?」
「いや、FRのままらしい…(-_-;)
一応、規格いっぱいのボディで、今のガラスハッチからボンネットバンと共用のテールゲートタイプのハッチになる。」
「でも、FRか…」
「自工のやつらに言わせると、ミニカのエンジンって2気筒だし、縦においても横においてもスペース的にはあんまり変わらないんだとさ。」
「そうかも知れんけど、でも、ミッションケースの出っ張りや、フロアトンネルは邪魔やろ…?」
「やつら曰く、元々軽って4人乗りじゃん、乗ってしまえばフロアトンネルは気にならないし、それにフル乗車することもあんまり無いから、FRでもスペース的には問題は無いんだとさw それよりもFRの運転のしやすさを強調するんだと…」
「なるほどね、っておもわず納得するけど、技術屋の詭弁のような気もするなぁ…w」
「FFも開発中らしいけど、今回は間に合わないらしい。」
「その自工の理屈って、ディーラー向けのセールスマニュアルにも載るわけ…?」
「まぁ、そう言うことらしいね^^;」

ミニカがFFとなるのは3年後の1984年のことである。

かつて、ホンダの乗用車が空冷エンジンを積んでいた頃、
「水冷エンジンも、ラジエターは空気で冷やすのだから、結局は空冷である」と、本田さんが言ったとか…w
そんな逸話もあるくらいなんで、技術屋さんの言い訳はどこも似たようなもんかも。

ところで、こんな本が出版された時期もありました…^^;
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